Kyoさんの歌に学ぶ 

おしらせ

1. 私と一緒に毎月「歌とヒーリングレイキ)の会」をして下さっている
歌姫Kyoさんが
六門会合奏団第42回定期演奏会でゲストソプラノとして
ご出演になります〜!
日時:9月14日(日) 13:30開演
場所:第一生命ホール(最寄駅 勝どき駅)で
入場料無料

詳しくはKyoさんのブログをどうぞ! → 

2. 「歌とヒーリングレイキ)の会」次回は9月21日(日)です!。
時間は 10:00am〜 12:15pm頃
場所は原宿界隈(参加希望の方にお知らせします)。参加費1000円です。

お問い合わせ、お申し込みは こちらから → 

---

さて、今日は、Kyoさんのライブをご紹介させていただいたので
私が彼女の歌に接して、発見・気付いたしたことを。

私は、彼女の歌を聴いて、はじめて
「自己顕示欲のない歌声」というものに気付かされました。

それまでクラッシックの声楽に対する私の印象は
「私を見てよ、聴いてよ!」という自己主張の塊、って感じ。

どこからかような思い込みがきたのか判りませんが、
「自己主張が強すぎて、ちょっとひいちゃうなあ」
と思っていたのです(笑)。

また伴奏(オーケストラ)と存在感を競っているかのように
聞こえてしまっていることもありました。

こういう場合というのは

1. この人達がホントにそういうオーラを出している
2. 私の思い込み

のどちらかです。ま、多分両方です(笑)。

ところがKyoさんの歌をはじめてきいたとき
ライバル意識やら優越感のようなものを全く感じなかったのです。

「あ、この人は、歌が好きなんだ」

というのがそのまま伝わってきた感じ。

なんていうんだろー
邪念がないというか。

自己主張がない、つまりエゴがないっていうかんじ。
そして
自己主張がないからこそ、
彼女の歌がふわっと立ち上がって存在感を伴い伝わってくる。
「好き」というエネルギーだけなので、
とてもシンプルでストレートに伝わってくる。

「こんなふうに歌う人もいるんだ・・・」

これは私の「ソプラノ歌手」に対する「思い込み」を
一気に払拭した、まさに「目から鱗が落ちる」体験でした。

そして、彼女の歌をきいて初めて
「人と競り合って目立つのは見苦しい」
「見て見て!と相手に注目を強いるような自己主張をするべきではない」
という価値観(言ってみれば「思い込み」)を
持っていたということに気付いたのでした。

これは自分自身に対する驚きでもありました(笑)。

こういう思い込みがあったからこそ
「ライバル意識」や「自己主張」が気になって、楽しく聴いてなかったんですね。

で、も一ついうと
Kyoさんの歌声には「自己主張がない」からヒーリングと一緒にできる
つまり「歌とヒーリングの会」が成立するのです〜。

いつもKyoさんの歌声とともに
レイキをするのですが、
相乗効果があって、とても気持ちいいのです。

これがもし「私の歌,聴いて、聴いて頂戴よー」という
ゴーマニズムオーラ満載の歌声だったら
彼女の歌とともにレイキを流しても、決して心地よくはならないかと思います。

そんなわけで
9月14日(日)のコンサート
21日(日)の「歌レイキ」の会で
ぜひKyoさんの歌声に触れてみて下さいね。

--
よろしかったらクリックお願いします。励みになります!

ポジティブな世界観 と 社会的成功 

お知らせ
月1恒例「歌とヒーリングの会」、8/16(土)にやります!
歌を歌いたい人、ヒーリングでリラックスしたい人、どうぞお越し下さい。
今月のテーマは「手放す」です。
詳しくはこちら 

--
先週はアメリカから2つのニュースがありました。

1つめ。
以前ご紹介した「最後の授業」のランディ・パウシュ教授
25日に天国に旅立たれたそうです。 ニュース記事 →

ある時にこの世での命を終えるのは、
誰もが等しく経験することですね。

楽しく生きる、
望みをあきらめない、
わかちあう
なにごとをも肯定的に捉える

素晴らしい生き方を見せて下さったことに感謝します。


2つめ
イチロー 日米通算3000本安打 達成 〜!!

HPのプロフィールをご覧いただけるとわかるかと思いますが
私はささやかながらイチローのファンでございます。
(大ファンとはいわない。小ファン、ぐらいです)

彼の素晴らしい点は「故障が少ない」ってこと。
これは本当に素晴らしいことです。

あの広いアメリカで、シーズンをこなして
故障をしないような自己管理をするのは並大抵のことじゃないと
思いました。

だって、ホームのあるシアトルから
一番近いオークランドだって飛行機で2時間はかかる!
一番遠いタンパベイまで、飛行機で6時間ぐらいかかる〜!
おまけに時差もある。
周りは全部英語だし、食生活全然違うし・・・。

それを7年間やって、故障もせず
そしてあれだけの成績を残しているんだから素晴らしい。

・・・と私は思うのですが
果たしてイチロー本人はどう思っているのかは知りません(笑)。


ランディ・パウシュとイチローの共通点は
「現実を肯定的にとらえている」という感じがする
ということ。私の印象ですが。

A Course in Miracles」に
「自分が見ている世界は、自分が意味づけた世界で、それ以上でもそれ以下でもない」
とあります(445ページ)

つまり「世界がどんなモノか」を定義づけるのは、本人の捉え方次第ということ。

今、イチローのことを書いただけで、私自身が
 ヒコウキ、時差、英語、アメリカの食生活が苦手
→「アメリカは、仕事をして結果を出すには条件の悪い世界」
と思っていることがあからさま(笑)。

だから私にはつい
「イチローはアメリカという”結果を出すには条件の悪い"土地で
 よくあれだけの結果を出した!」と思ってしまうわけです。

でもイチロー本人は、
ヒコウキも時差も英語もアメリカの食生活も苦にならず
「アメリカは野球をするのに適した世界」と思っていて
「アメリカだからこそ結果をだせた」と感じているかも。
(これは勝手な想像)

ランディ・パウシュは
「僕を末期癌患者だからといって、かわいそうとか思わないで欲しい」
と言っていました。
(もしかしたら強がりだったかも知れないけれど)

現実を変えようと試みることも
楽しく生きる試みの1つかもしれませんが、
自分自身が現実に抗わず、捉え方を変える
つまり「世界に対する認識を変える」だけで楽しく生きられる。
(そしてたぶん、このほうが手っ取り早い)

自分が末期癌だということに抗っても
それで末期癌が魔法のように消えることはない。
アメリカで生活をすれば、
時差はあるし、周りは英語だし、ジャンクフードだらけ。
それを変えるのは不可能。

こうした「環境」とか「現実」に対する心構えは、
彼らの生き方の基本的土台で、
それが大きな社会的功績へと彼らを導いていったのだろうと
推察するわけです〜。

もともとそういうことが苦にならないタイプなのか、
現実と抗うことをやめたのか。
ランディ・パウシュは亡くなられたので、やむを得ないとして
この質問は老後のイチローとの茶飲み話のネタとして
とっておきたいと思います(笑)。
(夢はでっかく)

ーー
よろしかったらクリックお願いします。励みになります!

思い込みを外すチャンスがやってきた! 

お知らせ
月1恒例「歌とヒーリングの会」7/12(土)にやります!
歌を歌いたい人、ヒーリングでリラックスしたい人、どうぞお越し下さい。
詳しくはこちら 


---

先週末は知人の結婚披露宴に出席しました。
結婚披露宴に出席するのは久しぶりです。

お招きいただいた時,
正直あまり積極的に行きたいという気持ちになりませんでした(苦笑)。

新郎新婦の門出に同席させていただくこと自体は
とてもうれしく思っているのに、
どうも「行きたくない理由」があるらしいのです。

そこで「なんで気が進まないの?」と自分に訊いてみました。
しばらく時間をかけたのですがその答えは
「・・・・よくわからん!」


なかなか思い出せないということは
それだけ「苦手な理由」が潜在意識の奥底に
深く沈んでいる
、というのは判っていたので
「実際に披露宴に行ってみればよくわかるだろう!」
と披露宴の間、「自分の心ウォッチング」をすることにしました。

ちょうど「まずは「思い込み」を捨てましょう」を読了して
思いこみはずし」がマイブームになっていたこともあり
ちょっと、ワクワク気分(笑)

さて、まとめた結果が次の通りです!!

発見その1:

披露宴で語られる新郎新婦の略歴や,スピーチなどで
彼らのパーソナリティ(たいていは褒め言葉)をきいて
「高学歴!」「リーダーシップがあるんだ!」「みんなに信頼されているんだ!」etc
と感心しながら
「私は学歴もイマイチだし、リーダーシップはないし、みんなに信頼されてないしなあ・・・」etc
と自分と比較し私なんかダメダメと自己嫌悪


発見その2:

「子供を沢山もうけて、楽しい築いてください」という祝辞をきくと
「私も結婚したときああいう風に言われたなあ。
 でも、結局子供がいないままだな」と、またまた自己嫌悪
(結婚したら子供を産むべき。
 でも私はそれをしていない→私なんかダメダメ)


発見その3:

よく知らない人と近い席になって上手に会話できず,またまたまた自己嫌悪
(見知らぬ人とも、仲良くうちとけるべき。
 でも私はそれができない → 私なんかダメダメ)


発見その4:

お酒や牛肉のたぐいが実はあまり得意ではないのですがどっかり登場・・・。
結局食べることができず。
(出された物は残さず食べなければいけない
 でも私はそれができない → 私なんかダメダメダメ)


かように
私の中に共鳴する沢山の「〜べき」(=思い込み)があって、
披露宴のなかでその「思い込み」にひっかかると、
それに見合わない自分を,ずっと責めていた
のでした。

私はこれまで、結婚披露宴に出るたび
こうしたことを無意識のうちに繰り返していたようです。
そして、お開きになった頃にはダメダメにうちひしがれていたという(笑)。
そりゃあ、披露宴が苦手にもなるだろうて(爆)。

今回は「私なんかダメダメ〜」の声がきこえるたびに
とりあえず「だいじょーぶ、だいじょーぶ」と言い聞かせてみました。
そうすると本当に「だいじょーぶ」な気持ちになっていくもんです。
「だいじょーぶ」って
すっごく簡単なアファメーション(古くさい日本語で言えば"自己暗示")なわけですが
「ダメダメ」の声が聞こえたその瞬間に言い聞かせると
心が緩んでいくのがよ〜くわかりました。


今回の発見1〜4を整理するとこうなります。

思い込み1(私の価値観):
高学歴でない
リーダーシップがない
みんなに信頼されてない
子供がいない
見知らぬ人と打ち解けられない
出された食べ物を全部食べられない
以上、こうした要素は全て「ダメ」(無価値)である。

思い込み2(自己認識):
私は「思い込み1」のような「ダメ」要素を持っている

思い込み3(あてはめ): ゆえに
私=ダメ(無価値)

ということになっていたわけですが

「思い込み1(私の価値観)」が
真実ってわけじゃないので
「思い込み3」は実は真実にはならない
んですよね〜。

「思い込み1」の要素を持ち合わせている人は
世界中に私以外にも沢山いると思うけれど、
人にはいろんな「いいところ」があるんだから
「思い込み1」の要素を持っているからといって
その人がみんな「無価値」になるはずがない。それは例外なく私自身も。
また「思い込み1」の要素が
誰にとっても、つまり時代を超えて、場所をこえて通用するかというと
全然そーじゃない。
だから「思い込み1」は、真実じゃない。

また「思い込み2」が真実か、といえば
真実とは言い切れない要素もあります。
私は本当に見知らぬ人と打ち解けられないのか?
いつも出された食べ物を残しているのか?
・・・というとそうでもない。

だから「思い込み3」
私=ダメ
は成立しないんですね〜

判ってしまえば、こんな簡単なことはない(笑)。
とても気楽になりました。

私は今まで結婚披露宴に出席しながら
自分を責めることばかりをしていて
実は新郎新婦のことを全く見ていなかったようです。
(いままで御招きくださった方々、ごめんなさい〜!)
でも今回は、
心から新郎新婦の門出を祝福できたような気がします。

出席してよかった〜!!

ーー
よろしかったらクリックお願いします。励みになります!




感謝連想ゲーム 

「神へ帰る」(原題:Home with God)、読了〜!

改めて読んで良かった、と思いました。
この本と出会えてよかった。

こんなとき、私は 感謝大連想ゲームをするのが好きです。

著者、ニール・ドナルド・ウォルシュの存在に
彼がこの本を書いてくれたことに感謝。
この人がいなかったら、この本はないんだもの。

溝口あゆかさんのお薦めで原書「Home with God」を読み始めました。
あゆかさんの存在と、お薦めに感謝。

あゆかさんと出逢う機会を作ってくれたSちゃん、ありがとう。
Sちゃんと出逢うきっかけをつくってくれた
学生時代の勉強会のみんな、ありがとう。
勉強会を主催していたYさん、
Yさんを紹介してくれた伯母にも感謝。2人とも、もう故人。

翻訳本の「神へ帰る」を知るきっかけになったのは
amazon.co.jp。
amazon.co.jpの皆様、私のお世話になっているプロバイダーの皆様、
こーしたインターネット環境を創り出して下さっている皆様、
私のパソコンを創って、手元に届けるまでに関わって下さった皆様、
ほんとに、ほんとに、ありがとう。

1冊の本としてこの世に送り出してくれた
翻訳本の出版社のスタッフの方々、翻訳者の方
本の装丁をデザインしてくれた方、
本の編集・印刷に関わった方々、
ほんとに、ほんとにありがとう。

神へ帰る」は図書館で借りました。
図書館のスタッフの皆様、ありがとう。

図書館まで自転車でいきました。
自転車を作るところから、私の手元に届くまで
関わってくれた全ての皆様に、ありがとう。

借りてから、無事故で図書館から帰ることができました。
図書館とウチの間ですれ違った皆様、ドライバーの方々
私とぶつからないでくれて、どうもありがとう。

この本は家で読んでます。
この家を建ててくれた大工さん、家の原材料を作ってくれた皆様、
家のローンを払ってくれている夫、
夫に給料を出してくれる会社にどうもありがとう。

夜更けに電気をつけ暖房の効いた部屋で読んだりしています。
電気を作って送ってくれている皆様にありがとう。
電気を作る燃料を調達して、日本に送ってくれた皆様にありがとう。
原料の石油になってくれた昔の生物の皆様
原子力のもとになっている鉱物の皆様(ごめん、理科弱いの)
どうもありがとう。

本を読むーという「読み書き」教育を与えてくれた
両親、学校の先生、日本国にありがとう。

本を安心して読める、天災や戦争のない日々にありがとう。
そういう社会を作っている
日本人の皆様と、世界中の皆様にありがとう。

本を読み、ページをめくり、内容を楽しませてくれる
私の目、私の指、私の脳、私の身体にありがとう。

そして何よりも

この全ての方々と私をつなげてくださっている
神様、どうもありがとう。

この本1冊読むのに、
こんなに沢山の存在が私をサポートしてくれている。


幸せだなぁ〜!!

ホント。

QRコードとA Course in Miracles 

このブログの左側にQRコードを表示しました!

というわけで、カメラ付ケータイをお持ちのかた
併ブログをぜひ通勤、通学のお供に〜。

QRコード、
実はイギリスにはほとんどなないのです。
私の知る限りでは、皆無でした。
(半年前までの話だけどね)

なので、帰国してケータイを買ったとき
QRコードをどう使うか
よくわかんなくて困りました(苦笑)。

でも、できるようになると
すっごく便利!
ケータイで字を打たないで済む〜。

こういう「あったらいいな」みたいな
「相手を察して、かゆいところに手の伸ばしてあげる」ビジネスって
日本人の得意分野とするところのような気がします。

でも、この頃「察し」疲れしているのかな?という気も。
(あくまでも私の周囲を見回した印象だけどね)

特に、職場や学校など、社会的人間関係のなかで
「察し」だらけになっていて
逆に家庭や親しい友達の間では、もう
「察しだの、気遣いだのなんかやってられるか〜!」みたいな
感じがします。

あと「相手のかゆいところに手を伸ばす"べきだ"」
という思いこみがあって
だから、
自分のかゆいところに相手の手が届いてくれないと
「なんて冷たい人なの!」とか「気の回らない奴」と
キレちゃったりしてね。

A Couse in Miraclesに
(タモリさんの回に引き続き:(笑)
「抑圧」と「投影」という考え方があるそうです。

ホントは、
「相手のことを察して
かゆいところに手を伸ばしてあげる」なんてことは
あんまりしたくないんだけれど
「相手のかゆいところに手を伸ばす"べきだ"」と思って
ぐっとこらえて、手を伸ばしてあげている。

ーこれが「抑圧」。

「ほんとはやりたくな〜い」という欲求を
ぐっと押さえ込んでいるから
実際にやってない人に出くわすと
怒りを感じたり、
「そりゃおかしいだろう?」と相手にぶつけたりしちゃう。

ー これが「投影」。

勝手に察して、勝手に決めつけて、勝手に落ち込んだり。
勝手に察してもらうことを期待して、
勝手に裏切られたと思いこんで、勝手に怒ったり。

疲れる(笑)。

「かゆいところに手が届くこと」に気を回して
いろいろ察してみたり、あーだこーだと考え込えこんだり
してしまいがちだけど、
率直に
相手が望んでいることを、確認したり
自分が望んでいることを、相手に伝えてしまうと
案外とコトは簡単に進んだりすることが多いなと
最近思います。